ただいま往診中 その7
一本の点滴
三輪誠
このはなしは私が開業して間もない、15年位前のできごとである。
夜中に往診依頼があり、いきなり迎えの車が来た。軽トラックで夜道を突っ走り到着。玄関に入るとおびただしい靴の数。
「どうぞ、こちらへ」
「どなたさんも、まっぴらごめんなすって」という感じで手刀をきりながら、奥へ進む。ぎっしり居並んだ人の頭の向こうにおじいさんが寝ていた。意識はなく、顔面は真っ赤、全身汗びっしょり、大きないびき。誰が見ても脳卒中の緊急事態だ。ふと顔を上げると、泣いている者あり、興奮している者あり。いくつもの目が私を見つめた。重苦しい雰囲気の中でようやく一人が口を開いた。
「実は、脳梗塞で何回も入院しています。今回もそうだと思います。近くの先生に診てもらったんですが、手のつけようがないと帰ってしまいました。どうしたらよいでしょうか。」
「おじいさんは何回も入院しました。もうかわいそうです。」
「いや、このままでは見殺しです。入院させないと。」
矢継ぎ早に意見が出る。たぶん、さっきまでその議論が繰り返されていたのだろう。
困った。この大勢のなかで何か結論をださなければならない。
「点滴をしましょう。」私は余計な説明を省き点滴を開始した。
翌日のお迎えの車中で運転手が話しかけてきた。
「私はおじいさんの娘の亭主です。助かりました。あの点滴で皆が落ち着きました。」
たった一本の点滴は立派な医療行為となり、入院賛成派と反対派の折り合いがついたらしい。
数日後、おじいさんは旅立った。