
三輪医院グループの思い(理事長メッセージ)
大正4年、曽祖父がこの地に開業以来、100余年。私で4代目になります。 三輪医院は初代のころから長らく外来と往診のみを行ってきました。最期の看取りは自宅で行う時代です。この時代は介護、看護は主にお嫁さんを中心とした家人によるものでした。60歳代、70歳代でお亡くなりになり、介護するほうも40歳代50歳代と若い人が行っていた時代です。 一方この100年で人々の寿命がどんどん延びました。その結果健康寿命と平均寿命の差が男性8年、女性12年となりました。つまり平均で10年前後は誰かのお世話にならなければ天国に行けないということを意味します。 この100年で支える家族が高齢化したり、核家族化が進んだり、共働きが増えたりと、高齢者を支える環境も随分変わりました。90歳代の親を介護するために70歳代の子供が頑張らなければいけない。もはや家族と、患者さんだけでは生活が回っていかない時代となりました。 そこで三輪医院グループは、介護施設や、リハビリ、デイサービス、訪問リハビリ、訪問看護、居宅介護支援センターなどを創設しました。 「人間は最期に死ぬんじゃない。最期まで生きるのだ。」これは私が毎年講師をしている看護学校で地域医療を教えるときに必ず伝える大事なテーマです。 どうしたら最期まで生きることができるのか? 医療介護看護がチームを組み、しっかりと情報共有し、情熱をもって医療看護介護にあたれば、最後の10年は変わります。大好きな地域で、その人らしく、大好きな人に囲まれて、笑顔で「生きて」いただきたい。それが三輪医院グループの願いであり、我々の与えられた使命だと思います。それにはこれだけのサービスは必須なのです。 私はこの地域が大好きです。医師である前に、この地域の住民であるという意識を常にあります。地域のお神輿も担ぎますし、どぶさらいもします。自分が小さいころから一緒に暮らしてお世話になっている地域の人に親切にしたい。それが私を仕事に突き動かす原点です。 私は子供も大好きです。子供は地域の宝、子供無くしては地域の未来はないとの方針のもと、乳児検診、予防接種、学校の校医、沢山の保育園の園医に協力してきました。 ゆりかごから天国まで、この地域の方が、安心して生きていけるよう頑張っています。
患者さん、利用者さんの姿はやがては自分の行く道そのものです。診察をしながら患者さんから日々勉強させていただいています。 地域の人と共に笑い、共に考え、共に悩んで、共に泣く。地域の歯車となり、良いときも悪いときも一緒に人生を歩んでいきたい。と強く願います。 三輪医院グループはこれまでも100年、これからも100年、責任をもってこの地域とともに生きていきたいです。
医療法人志太会 三輪一太 | ![]() 三輪医院理事長 三輪 一太 |

三輪医院、老人保健施設、ケアハウスが互いに連携を取りながら、皆さまが安心して生活できるようにお手伝いいたします。
三輪医院は大正4年に開業し、以後一貫して地域医療に取り組んできました。多くの生と死、喜びと悲しみを皆さまと共有させていただきました。その経験から、全ての人は 人権を尊重されたい・安心を得たい・生きる喜びを感じたい と願っていることを学びました。これが志太会の理念になりました。
この理念を実現するために医療・介護のサービスネットワークを作りました。
患者さんの声に耳を傾ける事で、自然に生まれたサービス。原点は往診!
| 三輪医院グループの医療サービスネットワークは作ろうとして作ったものではありません。人々が何を求めているのか、耳を澄まして聞くことによって自然と生み出されたものです。原点は往診です。往診を続けていくなかで、訪問看護の必要性がわかり訪問看護を開始しました。 訪問看護で元気になった方々に生きる喜びを感じていただくために「デイケア」を作りました。 介護保険がはじまり、正しいケアプランをつくる必要性から「居宅介護支援センター」を作りました。 介護者の疲労を解消し、リハビリを進める必要性から介護老人保健施設「ユニケア岡部」を作りました。 認知症の方々に最適な生活空間を求めて、「デイサービス」を作りました。 現在の混沌とした医療、介護事情のなかで、医療に裏打ちされたサービスこそが求められているという信念から サービスは創生されつづけました。 |