ただいま往診中 その3
父の日
三輪誠
その家は山すその陽だまりの中にあります。土蔵のある農家で、同じ敷地内に息子さん夫婦も住んでいます。
ご主人は寝たきり状態が長く、とこずれの大きさに反比例して声が小さくなっています。今では会話はおろか、声を聞き取ることも困難です。いつ命の火が消えてもおかしくない状態ですが、奥さんは献身的に看病をしています。ベッドはいつも清潔で部屋もチリひとつない風情です。
そんなある日、息子さんが何かの用事でお父さんが寝ている隣の部屋まであがって来て、お母さんと言葉を交わし帰っていきました。
「お父さん、息子が今そこまで来たのに、部屋に入らないで行っちゃったよ。今日は父の日なのにねえ。ちょっとお父さんの顔をみてくれればいいのにねえ」
つぶやくようにご主人に話しかけました。いつもそんな風に返事を期待しないで話しかけるのです。ところがその日は違っていました。返事があったのです。しかも普段にないはっきりとした口調で。
「いいじゃないか・・二人でいれば・・」
奥さんは思わずはっとしました。「目からうろこが落ちた」そうです。
「ごめんね。そうだよね。二人でいるんだもんね。」
大きな農家の小さな一室、夫婦だけの陽だまり。この夫婦に幸あれ。
でも奥さんは寂しいと言います。友人との長電話と訪問看護が楽しみと笑いました。