ただ今往診中

寝たきりのご主人をはさんで奥さんと思い出ばなしに花が咲いた。
それは3年前、パーキンソン病の夫が突然表に飛び出し道路を駈けはじめた時のことであった。駈けると言っても歩くより遅いスピードである。奥さんは気づかれないようにそっと後をつけ、ご主人が立ち止まった時に声をかけた。自宅から15メートルもない地点であった。

「もう帰ろうか」
「どれくらい走ったかなあ」
「5キロくらいよ。ここで折り返せば往復10キロよ」
「そうか、それじゃあ帰るか」

帰りはじめたが間もなく足が動かなくなり、ほうほうの体でやっとこさと帰宅。
奥さんはあの頃が懐かしいとそっとご主人の髪をなでた。

ご主人は今でこそパーキンソン病におかされ、記憶障害に苦しんでいるが、もともとはマラソンで鳴らした方。他人からみれば単なる徘徊にみえる行為も、奥さんにしてみれば、体の不自由さにも気づかずに「練習に飛び出した」愛する夫の姿である。「何キロ走ったかなあ」とつぶやく夫の気持ちをしっかり受け止め、ごくろうさん、もう帰りましょうかと愛情を込めて家に誘導。「徘徊」と嫌われる問題行動に対して、正しく対応できた見本である。誰に教わったわけでもなく、夫婦の愛情と歴史のなかで自然に湧いて出たものである。まさに介護の真髄を見る思いである。もし介護に流儀があれば、奥さんは免許皆伝である。「問題行動」の背後に潜む「動機」を真に理解したときに、正しい介護が導かれるということであろう。


見事な癒し

「あの時はうれしかったよ。あんな事があるもんでこんな山の中でも頑張っていられるよ。」奥さんは寝たきりのご主人を見つめながら続けた。「昔、あんたがみんなに良くしたからだねえ」

あんな事とは、停電の時、地域のみんなに助けられたことです。その家はほんとうに山の中で、町の人からみたら寸又峡に行ったような気がするような場所です。そこに寝たきりのご主人を守って奥さんが一人がんばっています。ある日第2東名の工事の関係で長時間の停電になることになりましたが、ここで困ったことが起きました。実はご主人は常に痰がからみ、吸引器が離せない方なのです。停電の発表を公民館で聞いた奥さんは思わずつぶやきました。「困ったやあ。吸引器が使えないやあ」と。さあ、それからが大騒ぎ。山の中の小さな集落はにわかに活気づく。ともかく発電機だ、ということになり朝早くから男衆が準備に入った。午後からいよいよ停電開始。近所の人が入れ替わり立ち替わり様子を見に来る。なかにはもう一台発電機を持ってきたり、電気コードを用意してきたり、発電機の状態を点検にきたり、なにしろ打ち合わせなしの自然発生的なボランテイアですから重複があるのです。その一人一人にお礼を言いながら停電終了。

介護をしている方々は孤独です。私たちの往診や訪問看護をほんとうに歓迎してくれました。でも地域の人がこんなに心配してくれているとは思わなかったようです。私はひとりぼっちではなかった。停電事件は見事な「癒し」でした。

後日談。その後、自治会で道路公団に「この家は重病人がいるからダンプカーは徐行すべし」と申し入れが行われました。「家の前ではダンプもゆっくり走ってくれるよ。」と奥さんはちょっと得意そうに、嬉しそうに報告してくれました。


父の日

その家は山すその陽だまりの中にあります。土蔵のある農家で、同じ敷地内に息子さん夫婦も住んでいます。
ご主人は寝たきり状態が長く、とこずれの大きさに反比例して声が小さくなっています。今では会話はおろか、声を聞き取ることも困難です。いつ命の火が消えてもおかしくない状態ですが、奥さんは献身的に看病をしています。ベッドはいつも清潔で部屋もチリひとつない風情です。
そんなある日、息子さんが何かの用事でお父さんが寝ている隣の部屋まであがって来て、お母さんと言葉を交わし帰っていきました。

「お父さん、息子が今そこまで来たのに、部屋に入らないで行っちゃったよ。今日は父の日なのにねえ。ちょっとお父さんの顔をみてくれればいいのにねえ」

つぶやくようにご主人に話しかけました。いつもそんな風に返事を期待しないで話しかけるのです。ところがその日は違っていました。返事があったのです。しかも普段にないはっきりとした口調で。

「いいじゃないか・・二人でいれば・・」

奥さんは思わずはっとしました。「目からうろこが落ちた」そうです。
「ごめんね。そうだよね。二人でいるんだもんね。」

大きな農家の小さな一室、夫婦だけの陽だまり。この夫婦に幸あれ。

でも奥さんは寂しいと言います。友人との長電話と訪問看護が楽しみと笑いました。

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